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[※♀暗渠の底よりお慕い申し上げますA]





少しの静寂の後、臨也が予想していたのは轟音だった。無意識的に身を小さく震わせる 。少し遠くで鳴ったのは、掻き鳴らすような轟音とは程遠い小さな軋みのような音だった。
ガチャ、と軽い音の後、再び静寂。臨也は尚更警戒心を強めた。少し乱暴な足音が近づいてくる。片っ端から部屋のドアを開けているわけでもなく、足取りは今臨也がいる場所にしっかりと向かっていた。臨也は息を潜めてナイフを取り出した。ドアのすぐ傍の壁に身を寄せた。足音はもうすぐそこまで迫っている。壁に添えた耳から、今いる部屋のドアノブに手をかけられたことを悟る。拭い切れなかったシャワーの水か、珍しく流れている汗か、どちらかでナイフを握る手が湿った。
恐ろしいほど平然と開けられたドアの隙間に何を見るでもなく反射的にナイフを突き出した。腕が伸びきる前にナイフは動かなくな る。少しして、パキ、というまたも小さな音と共に、腕が動くようになった。引き戻した手の先にあるナイフは柄しかなかったのだけれど、臨也はもう平静を取り戻していた。
「なに人にいきなりナイフ向けてんだ?アァ?」
地の底を這うような重低音にここまで安心したことはなかった。
目の前に現れる色はやはり金色で。
「勝手に人の家不法侵入しといてそれはないんじゃない?」
いつもと同じ嘲笑を浮かべて彼に相対する。静雄から距離をとろうと後ろに跳び退ったところで臨也は胸が揺れる感覚に気づいた。前を閉めると些かきついコートのお陰で外見上にあまり変わりはなかった筈だ。反射的に胸をかばうと静雄が殺気を緩めた。
「お前、まだ体調悪いのか」
静雄の少し気遣うような言動に純粋な驚きを覚えた。静雄は臨也を酷く嫌っているのだ。いつもと違う展開と、先程見たいつもと同じ風景と、混ぜこぜの熱気に少し毒されていたのかもしれない。
「シズちゃん、今日さぁ俺と食事でもしない?」

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日が翳って少しした頃、インターホンが鳴った。
「客か?」
「ああ、いいのいいの。座っててよ」
臨也はそう告げると静雄を客間に残して玄関へと向かった。静雄はその間の暇を潰すように携帯を弄りだした。軽快なリズムで指を動かす。静かな部屋にカチカチ、とボタンの沈む音だけが残った。数分と経たないうちに客間のドアが開いた。
「や、待たせたね」
そう言う臨也の手にはビニール袋が提げられていた。
なんだそれは、と言いたげな視線に気がついたのか、臨也は小さく苦笑した。
「ネットスーパーって知らない?」
臨也はビニール袋を持ったまま再び客間から出る。静雄は開けられたままのドアから着いていっても大丈夫だと判断したようだ。
着いた先はダイニングキッチンだった。臨也は鼻歌交じりに袋の中から食材を取り出している。やけに野菜が少ないな、と静雄は思った。静雄は臨也が何かを作っている間は何もしていなかった。ただ臨也の背後で臨也自身を見ているだけのようだった。
「運んでくれる?」
そう長くはなかった待ち時間で料理はできたようだ。魚介系のピラフとカップに入ったコンソメスープをトレイに乗せる。こんな大きさいるのか、という程度のテーブルには申し訳程度に花瓶に入った花が添えられていた。席に座り、食事時の挨拶をすると、静雄はピラフを一口口に運んだ。パラ、と米が解れる。
「美味いな」
その言葉に臨也は驚いたようにスプーンを取り落とす。それ以上動揺を悟られたくなくて臨也は少し高めのワインを一息で飲み干した。




些か羽目を外しすぎたらしい、と酔いが回った頭で思った。
ダイニングキッチンを移動した二人はリビングで再び酒をあおっていた。コートの奥で一筋汗が身体を伝うのを感じて、臨也は手を振って微弱な風を自分に浴びせた。その様を見た静雄が不可解そうに尋ねる。
「コート、脱がねえのか?」
ざあ、と耳の音で小さく音する。血の気の引く音だとアルコールに溺れる頭でも気づいていた。
「関係ない、でしょ」
少し詰まった言葉に気がつくほど鋭くはない筈だと思う。ふーん、と気のない返事から、さして気にしてはいなかったのだと分かった。安堵したように視線を下に向ける。明るい茶色のフローリングがじりじりと視界の端から暗くなる。不思議に思って視線を上げると、目の前に静雄の顔があった。それを認識できた直後に、臨也の顔に何かが触れた。鼻先に少し硬い感覚が触れてすぐ、唇にかさついたものが降ってきた。反射的に逃れようと身を引いたが、肩を掴まれていて動けない。口内に濡れた物が侵入してきて、臨也は自分が随分と濃厚なキスをされているのだと気がついた。逃げる臨也の舌を荒く追いかけて引っ張り出す。臨也はあまりの息苦しさに視界をぼやけさせた。臨也が力ない手で静雄の胸板 を叩いて、漸くその口が開放された。

 



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